伊達宗城


【幕末タレント名鑑「伊達宗城」】

名前:伊達宗城(だてむねなり)
所属:宇和島藩→明治政府
出身地:江戸(東京都)
生年月日:文政元年8月1日(1818年9月1日)
没年月日:明治25年(1892年)12月20日 思想:尊王・公武合体





第26回は、純国産蒸気船を生んだ伊達者、伊達宗城さんです!

「伊達」と言えば、「独眼竜」で知られる仙台藩・初代藩主の伊達政宗が有名です。
宗城さんは政宗の末裔にあたり、伊予(愛媛県)宇和島藩第8代藩主を務めたお方です。

元々は旗本の山口直勝(宇和島藩第5代藩主・伊達村候の孫)の4男(次男とも?)として生まれました。
幕臣の息子ということで藩を継ぐ立場から遠かった宗城さんですが、宇和島藩主の跡取りへと指名されることとなります。
理由は、宇和島藩第7代藩主・伊達宗紀(むねただ)に後継者となる男子に恵まれなかったためでした。

文政12年(1829年)に宗紀の養子となり、天保15年(1844年)に27歳で藩主に就任します。
宗紀が始めた藩政改革をさらに推し進め、『魯西亜国誌』や『西洋列国史略』などから西洋の知識を惜しみなく仕入れ、蝋(ろう)の専売や石炭の採掘、蘭学の研究など、殖産興業や富国強兵に取り組んでいきました。

そんな宗城さんの探究心は留まることを知らなかったんでしょう!
嘉永元年(1848年)には、当時最高峰の蘭学者である高野長英(たかのちょうえい)を宇和島藩へ招き入れます。
これはとんでもないことなんです!
実は長英は脱走中の政治犯だったんです。
(「蛮社の獄」で捕まり牢屋の火災に乗じて脱走中)
幕府のお尋ね者も宗城さんにはお構いなし!
まさに伊達者です。

長英には、蘭学書の翻訳や砲台設計などを行わせ、藩の近代化を進めていきました。

また、嘉永6年(1853年)には、長州藩の蘭医・村田蔵六を招きました。
この頃、ペリーが黒船で日本へ来航しています。
ちょうど参勤交代で江戸にいた宗城さんは浦賀へ黒船見学に行ったそうです。
黒船を見た宗城さんは、何といきなり「蒸気船建造」のプロジェクトを立ち上げます。

船の設計を命じられたのが、医学しか知らない蔵六でした。
どうやら「オランダ語に詳しいんだから、専門書を翻訳して蒸気船を造って!」というムチャクチャな発注だったそうです。

さらに、エンジンである蒸気機関の製造を命じられたのは、城下の嘉蔵という方でした。
この方は、何と提灯職人!
どうやら「モノ作りはやっぱり職人!」という、こちらもムチャクチャな発注だったそうです。

こんなムチャクチャなところに、宗城さんのルーツである伊達政宗に通ずるものがあるようなないような・・・。
さて、「藩主の命令は絶対!」ですから、蔵六と嘉蔵はこのプロジェクトに死にもの狂いで挑戦します。
そして3年後・・・、
何と蒸気船、完成しちゃいました!!!
これが、初めての日本人による日本人のための蒸気船だそうです。

ちなみに、村田蔵六は後に大村益次郎と名乗ります。
「火吹き達磨」のあだ名を持った「日本陸軍の創始者」と呼ばれる方です。
宗城さんのムチャぶりが、間接的に日本陸軍の創立に繋がるとは面白い!

幕政にも影響を持ち始めた宗城さんは、「幕末の四賢侯(しけんこう)」に数えられます。
(幕末の四賢侯:伊達宗城、山内容堂、松平春嶽、島津斉彬)
幕政改革を訴えた宗城さんは、13代将軍・徳川家定の跡取りに一橋慶喜(後の徳川慶喜)を推す一橋派に属し、徳川慶福(後の徳川家茂)を推す南紀派と大きく対立しました。
ところが、安政6年(1858年)に政敵の井伊直弼が大老に就任して、慶福が将軍継嗣に決定してしまいます。
そして、井伊直弼による「安政の大獄」で春嶽などと共に隠居謹慎を命じられ、家督を養子の宗徳(むねえ)に譲ることになってしまいました。

一旦は表舞台から去った宗城さんですが、「桜田門外の変」で直弼が暗殺されると、再び幕政に関わっていきます。
島津久光による「文久の改革」に伴って京へ上った宗城さんは、公武合体を推進していきました。
文久3年(1863年)には有力な大名経験者が組織する「参預会議」に参加します。
宗城さんが目指した公武合体の政治体制ですが、なかなか参加者の意見が合わず、最終的に参加者の1人である慶喜が泥酔して「この3人(島津久光、松平春嶽、宗城さん)は大愚物(ぐぶつ)、大奸物(かんぶつ)であり、(将軍)後見職たる自分と一緒にしないでほしい!」と大失言してしまったことで、わずか半年で崩壊してしまいました。

そして、慶応3年(1867年)には「四侯会議」に参加します。
こちらは約1ヵ月で崩壊してしまうんですが、この時、大政奉還案を提出した容堂に賛同した宗城さんは、公武合体の大名連合による政治体制の準備を始めていたそうです。
しかし、武力倒幕で新たな政権を立てようとしていた薩摩藩や長州藩に出し抜かれ、宗城さんが思う方向とは違うところへ向かい、「王政復古の大号令」の後、「戊辰戦争」が勃発してしまいました。

明治維新後は、外国事務総督、外国官知事、参事、民部卿、大蔵卿を歴任しました。
明治2年(1869年)には、鉄道建設のためにイギリスから借款を取り付け、明治4年(1871年)には全権として「日清修好条規」調印に当たるなど、特に外交面で活躍します。
調印後に中央政界を引退した宗城さんは、明治25年(1892年)に亡くなりました。

宗城さんは「戊辰戦争」の時に新政府軍の参謀に指名されたそうですが、薩長のやり方に納得がいかず、幕府への同情心があったことから、参謀の職を辞任したと言われています。
よ!伊達者!!






 

wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル



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