勝海舟


【幕末タレント名鑑 カ行「勝海舟」】

名前:勝海舟(かつかいしゅう)
所属:幕府→明治政府
出身地:江戸本所亀沢町(東京都墨田区)

生年月日:文政6年1月30日(1823年3月12日)
没年月日:明治32年(1899年)1月19日
思想:開国・佐幕


第5回は、江戸っ子名言メーカー、勝海舟さんです!

下級幕臣の長男として江戸に生まれた勝先生の、幼名&通称は「麟太郎(りんたろう)」。
ドラマや小説などはこちらの名前の方がおなじみかもしれません。
小さい頃から文武両道。
剣術では免許皆伝、勉強の方では蘭学の塾を開くほどの優秀さでした。
下級武士の出身というハンデをもろともしない青年期だったようです。


【勝先生の江戸っ子な名言】
「自分の価値は自分で決めることさ。つらくても貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。」


嘉永6年(1853年)、ペリーが来航すると、勝先生はいち早く海防に目をつけ、長崎の海軍伝習所で航海術を習得します。
そして、万延元年(1860年)には、咸臨丸で太平洋を横断し、アメリカへ渡航しました。
この時既に勝先生は、下級武士の出ながら、艦長や指揮官のような「教授方取り扱い」と立場にまでのし上がっていたそうです。


【勝先生の江戸っ子な名言】
「時勢の代わりというのは妙なもので、人の値打ちががらりと変わってくるよ」


帰国後、軍艦奉行に抜擢され、神戸海軍操練所を設立しました。
教え子には、坂本龍馬(さかもとりょうま)や陸奥宗光(むつむねみつ)など錚々たるメンバーがいます。
ところが、勝先生は幕府の味方であろうが敵であろうが教え子としてしまうところがあり、上の人からにらまれ、一度歴史の表舞台から消えてしまいます。


【勝先生の江戸っ子な名言】
「上がった相場は、いつか下がる時があるし、下がった相場も、いつか上がる時があるものさ。その間十年、焦らず屈んでおれば、道は必ず道は開ける。」


慶応4年(1868年)、「戊辰戦争」の舞台が関西から関東へ移り始めました。
しかし、幕府はこの緊急事態に対応できる人物が全くいないということで、勝先生を再び呼び戻しました。
就いた役職は、何と、陸軍総裁(陸軍のトップ)。
後に、軍事総裁となり幕府の全権を任されることになったんです。
そして、江戸城に迫る新政府の大軍を目前に、西郷隆盛(さいごうたかもり)とギリギリの和平交渉に入ります。


【勝先生の江戸っ子な名言】
「外交の極意は、誠心誠意にある。ごまかしなどをやると、かえってこちらの弱点を見抜かれるものだよ。」
「事を遂げるものは、愚直でなければ。あ〜、才ばかりに走ってはイカヌ。」


西郷さんとの会談は総攻撃の3月15日の直前の13日と14日。 以前会った時に「英雄肌で、佐久間象山よりもより一層有能であり、ひどく惚れ申し候」と書き残すほどに勝先生にゾッコンだった西郷さんとの会談は良好。
江戸城は奇跡の無血開城と決まり、見事、江戸の街と150万人の命が守られることとなりました。


【勝先生の江戸っ子な名言】
「やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。」
「オレは(幕府の)瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった。」


その後、明治政府の役職に就いた勝先生は、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の赦免に尽くし、徳川家の後見や旧幕臣の生活救済などに務めました。
「日本海軍の生みの親」とも言うべき勝先生は、明治32年(1899年)1月19日、風呂上りにブランデーをクイッと飲んだところで意識を失い、ある言葉を残して亡くなったそうです。


【勝先生の江戸っ子な最期の名言】
「コレデオシマイ。」


お見事!!!

 

wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル