久坂玄瑞


【幕末タレント名鑑「久坂玄瑞」】

名前:久坂玄瑞(くさかげんずい)
所属:長州藩
出身地:長門国萩平安古(山口県萩市)

生年月日:天保11年(1840年)
没年月日:元治元年7月19日(1864年8月20日)
思想:尊王・攘夷







第34回は、吉田松陰が惚れ込んだ天下の英才、久坂玄瑞さんです!

一般的に馴染みがないかもしれない玄瑞さんですが、今年(2015年)の大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公・杉文(すぎふみ)の最初の旦那さんということもあり現在注目を浴びている人物です。
志士たちの大先生であった吉田松陰(よしだしょういん)が「松下村塾の双璧」「年少第一流の人物」「天下の英傑」と絶賛した玄瑞さんとは一体どんなお方だったんでしょうか。

玄瑞さんは藩医(藩に仕えた医者)の家に生まれて、藩校「明倫館」や藩医学所「好生館」に通い医学や蘭学を学びました。
実家の当主を継いだのはわずか15歳の時だったそうです。
これは、嘉永6年(1853年)に母を亡くし、翌年には兄と父を相次いで亡くしたためでした。

安政3年(1856年)には、目の治療を兼ねて九州へ遊学に出掛けます。
熊本に訪れた時に、玄瑞さんと同じく藩医を務める宮部鼎蔵(みやべていぞう)と出会いました。
鼎蔵は医者・兵学者であると共に“尊王攘夷”派の志士であり、後に「池田屋事件」で討ち死にする人物です。
今年の大河では、ビビる大木さんが演じる幕末のキーマンです。

玄瑞さんは鼎蔵に出会い、吉田松陰の下で学ぶことを勧められました。
勧められるままに、玄瑞さんは松陰に手紙を出し、萩へ戻ると「松下村塾(しょうかそんじゅく)」に入門します。
松陰からずいぶんと才能を愛されていたようで、入門して間もなく、松陰の妹である文(今年の大河の主人公!)を妻に迎えています。

また、玄瑞さんは幼なじみも松下村塾に誘って入門させています。
その人物こそ、高杉晋作でした。
この2人は「村塾の双璧」と称され、この後“尊王攘夷”の急先鋒として幕末をリードしていきます。

安政5年(1858年)になると、京都と江戸を往復して、薩摩や土佐、水戸の同志と交流し、“尊王攘夷”運動を精力的に行いました。
ところが、ここで志士たちを仰天させる大事件が起きます。
翌年に、自身の才能を誰よりも買ってくれていた松陰が、「安政の大獄」で刑死してしまったのです。
師匠の死を受けて、玄瑞さんは後継者として“尊王攘夷”の実現を果たそうとさらに奔走します。

他藩の志士たちとの交流をさらに深め、松陰から教わった「草莽崛起(そうもうくっき≒志を持った一人一人が立ち上がれ!)」の思想を広げていきます。
この玄瑞さんの情熱に大きく影響を受けたのが、土佐藩の志士たちでした。
玄瑞さんの熱弁を受けて、武市半平太(たけちはんぺいた)を中心に「土佐勤王党」を結成し、坂本龍馬は脱藩という大胆な行動を取っています。


ちなみに、玄瑞さんは医者の規則で坊主頭だったそうです。
外見は色白で端正な顔立ち、6尺(約180cm)にも及ぶ高身長で、うっとりするような美声の持ち主だったとか。
志士たちからだけでなく、芸妓さんからもずいぶん人気だったんだそうです。

多くの志士を味方につけ始めた玄瑞さんですが、“尊王攘夷”運動自体がウマくいきません。
文久元年(1861年)には長州藩の藩論が、開国を良しとする“公武合体”(≒朝廷と幕府の提携政権)思想となってしまいます。
これを受けて、玄瑞さんは過激な行動で“尊王攘夷”をリードしようとしました。

文久2年(1862年)に、「松下村塾」の同窓生である高杉晋作、伊藤俊輔(後の伊藤博文)、志道聞多(しじもんた=後の井上馨)と共に、品川御殿山に建築中だったイギリス公使館を焼き討ちします。(「イギリス公使館焼打ち事件」)
さらに翌・文久3年(1863年)には、攘夷実行(≒外国船砲撃)のために光明寺党(奇兵隊の前身)を結成し、5月10日から下関の関門海峡を通航する外国船に対して砲撃を加えました。(「長州藩外国船砲撃事件」)

「草莽崛起」の精神をリーダー自ら実行し、志士たちを牽引した玄瑞さんですが、長州藩の事態は悪化していきます。
同年の「八月十八日の政変」で長州藩の勢力は京都から追い出され、世論は公武合体に移行してしまいました。
「長州藩外国船砲撃事件」も朝廷や幕府の意を受けて実行したものだったのですが、幕末の“正義”は二転三転・・・。
薩摩藩や会津藩が朝廷を味方に付け、長州藩は宮門警備を解任されて“悪”とされてしまったのでした。

長州藩の失地回復を目指した玄瑞さんですが、事態はさらに悪化!
元治元年6月4日(1864年7月8日)に起きた「池田屋事件」で、長州藩を中心とした志士たちの多くが新撰組に斬られてしまいました。
その中には、玄瑞さんと共に「松門四天王」と称された吉田稔麿(よしだとしまろ)や、玄瑞さんを松陰と引き合わせくれた宮部鼎蔵などが含まれていました。

長州藩を絶望の淵へと追いつめるこの大事件を受けて、玄瑞さんは無謀とも取れる最後の大戦を仕掛けます。
それは朝廷を押さえる薩摩藩や会津藩との戦争でした。
長州藩の名誉回復と仇討ちを志した藩士たちは玄瑞さんの下へ集まり、京都御所へ攻撃を開始します。
世に言う「禁門の変(蛤御門の変)」です。

薩摩藩や会津藩を中心とする勢力が約2万〜3万に対して、長州藩の勢力は2000に満たなかったそうです。
何とか御所の鷹司邸へ侵攻した玄瑞さんは、鷹司輔煕(たかつかさすけひろ)に朝廷への執り成しを要請しますが拒否されてしまいました。
そして、周囲を敵兵に囲まれ屋敷は炎上を始めます。

「もはやこれまで」と自刃を決意した玄瑞さんは、「松門四天王」の1人である入江九一(いりえくいち)に「(藩主へ)上京してはいけないと伝えてくれ」と後を託して脱出させました。
入江が屋敷を出たのを見届けると、最後まで側にいた「松下村塾」の同窓生である寺島忠三郎と自刃を果たしました。
享年25。







wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル




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