大久保利通


【幕末タレント名鑑 「大久保利通」】

名前:大久保利通(おおくぼとしみち)
所属:薩摩藩→明治政府
出身地:薩摩国鹿児島城下高麗町(鹿児島県鹿児島市高麗町)

生年月日:文政13年8月10日(1830年9月26日)
没年月日:明治11年(1878年)5月14日
思想:公武合体→倒幕→富国強兵(内治優先)


第8回は、クールなステーツマン、大久保利通さんです!


英語で「政治家」を表す言葉は、「ポリティシャン(Plitician)」と「ステーツマン(Statesman)」の2つあるそうです。
「ポリティシャン」は『(私利に走る)政治家』、「ステーツマン」は、『(公正で立派な)政治家』であると辞書に書かれています。
そういう意味では、利通さんはまさに「ステーツマン」だったと思うわけなんです!


生まれは薩摩国の鹿児島城下で、同い年には吉田松陰などがいます。
小さい頃は胃が弱く、運動が苦手だったとか。
その分、勉強の方をがんばったそうで、幼なじみの西郷隆盛などと通った藩校の「造士館(ぞうしかん)」ではトップクラスの成績だったそうです。


その秀才さを買われ藩に出仕!
このままエリートコースと行きたいところなのですが、何とお家騒動に巻き込まれて謹慎処分に・・・。
待っていたのは極貧生活だったとか。(約3年間)


その後、利通さんや西郷隆盛などを登用し名君として知られる、島津斉彬(しまづなりあきら)が当主に就き、お家騒動が落ち着いたことで、再び藩に出仕します。
ところが、安政5年(1858年)に、頼みの斉彬が亡くなってしまいました。


次期当主になったのは、島津久光(ひさみつ)。
この方、利通さんとはあまり相性がよろしくない!
ざっくり言うと、お家騒動の時に利通さんを謹慎×極貧生活に追い込んだ張本人だからです。


しかし、利通さんは考えました。
「藩政に参与して、この動乱を生き残らなければならない!そして薩摩藩を中心に日本国を守り立てなくては!」(予想)
そこで取った行動が“囲碁の勉強”。
「何で囲碁の勉強?w頭は使うけど、遊びみたいなものじゃないのww?」
確かにそうなのですが、その遊びを唯一の趣味としていたのが、新当主の久光でした。
何と、利通さんは囲碁を学んで、久光に接近を図ったんです!
そして、これが見事に成功して、トントントンと驚くほどの大出世!
藩政を取り仕切る久光の側近として、幕末の動乱へと飛び込んでいきました。


始めは「公武合体(こうぶがったい=朝廷と幕府の協調体制)」への道を目指したのですが、幕府の優柔不断さから頓挫。
宿敵の長州藩と手を結んで「倒幕」へと舵を切ったんです。


慶応2年(1866年)の幕府軍による「第二次長州征伐」への参加の拒否を行い、翌・慶応3年(1867年)の「大政奉還」、「王政復古の大号令」を主導していきました。
その後の「小御所会議」では、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の“辞官納地(職を辞して領地を返す)”を主張。
あくまでクールに合理的に1つ1つ物事を処理していきました。


明治維新後は、岩倉使節団の副使として外国を視察して、最先端の情報を日本に持ち帰ってくるのですが、新政府はあることで大いに揉めます。
これが朝鮮出兵を巡る「征韓論」論争!
朝鮮へ出兵するか、それとも日本国内の体制を整えるのが優先か、という当時の大問題です。


世界を見てきた利通さんは、日本の遅れを肌で感じ取っていました。
「戦争なんかしてる場合じゃない」(予想)
征韓論に対して大反対し、出兵を主張した政府のメンバーを大胆にもクビに!
そこには幼なじみであり、士族から支持の厚かった西郷隆盛も含まれていました。


明治10年(1877年)、西郷は士族の旗頭として「西南戦争」を引き起こし、新政府軍と戦いを始めます。
新政府軍の指揮を京都でとったのは利通さんでした。
この反乱は、利通さんの幼なじみの切腹で幕を閉じます。


利通さん、ああ無情!
確かに、クールすぎて当時からアンチが多かった利通さん。
でも、日本を近代国家まで引き上げるために、涙を飲んで私情を捨てる覚悟をしていたに違いないんです!
そこんとこをわかってほしいな〜!


そんな利通さんの最期の日は、明治11年(1878年)5月14日。
東京にある紀尾井坂というところで、アンチ利通だった士族に暗殺されてしまいます。
享年49でした。


私財を貯めることが一切なかったという利通さん。
資金がなかなか集まらない公共事業には、自分の私財を投資していたともいいます。
そして、死後に残ったのは財産どころが、8000円の借金でした。
これは現在の1億6000万円に相当するとか!
まさにポリティシャンならぬ、ステーツマンたるゆえんです!


「必要なことは必要」とクールに論理的に明治の新政府を牽引した利通さん!
権力が集まりすぎて「大久保政府」と呼ばれたこともありますが、「富国強兵(ふこくきょうへい)」をスローガンとして殖産興業(しょくさんこうぎょう)を推進し、日本を近代国家まで引き上げた利通さんの功績は計り知れないものがあると思うわけです!


潔癖で、ロジカルで、ただ少し頭でっかちで、それゆえ敵を作ってしまうクールな合理主義者。
ぼくは好きです。



 

wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル