大隈重信


【幕末タレント名鑑「大隈重信」】

名前:大隈重信(おおくましげのぶ)
所属:佐賀藩→明治政府
出身地:佐賀城下会所小路(佐賀県佐賀市水ヶ江)

生年月日:天保9年2月16日(1838年3月11日)
没年月日:大正11年(1922年)1月10日
思想:尊王攘夷→開国




第21回は、佐賀が生んだワールドスタンダード、大隈重信さんです!

大隈さんと言えば「早稲田大学の創設者」として有名ですが、中岡慎太郎や後藤象二郎などと同い年の幕末の人物ということはあまりお馴染ではないかもしれません。
出身は倒幕の中心となった藩「薩長土肥」の「肥」!
肥前国、現在の佐賀県・長崎県です。
家柄は石火矢頭(砲術奉行)を務める上士であり、身分の高い名家だったそうです。
ちなみに、大隈さんの生家は「大隈重信旧宅」として何と現存し、国指定史跡として当時の武家屋敷の面影を現代に伝えています。

7歳で藩校「弘道館」に入学するのですが、後に退学!
佐賀藩特有の「葉隠」思想に大反発し学校を追い出されたとか。
「葉隠」というのは、江戸時代中頃に佐賀鍋島藩士の山本常朝が“武士道”についてまとめた啓発本です。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の一節で知られています。
大隈さんは、一見美学とも取れるこの儒学的で保守的な思想に大反発したというわけなんです。
ちなみに、一緒に退学させられた生徒に江藤新平(明治政府で司法卿に就任後、「佐賀の乱」で処刑)がいました。

その後は、視野を外国に向け「蘭学寮」に入学!
藩主の鍋島直正にオランダ憲法を講義するまでに至り、「蘭学寮」が「弘道館」と合併した時には、蘭学教授として教鞭を取ります。
長崎の英学塾「致遠館」に訪れ、校長のフルベッキから英語や新約聖書、アメリカ独立宣言などを学び大きく影響を受けたそうです。

大隈さんは相当な負けず嫌いだったといいます。
「弘道館」にいた時に字がとても上手い学友がいたんですが、「こいつは敵わない・・・。よし!字を書かなければ負けることはない!」ということで、何と一生字を書かなかったそうです。
現在残っている大隈さんの全ての文章はしゃべったものを周りに書かせたもので、勉強する時はひたすら暗記をしたと言います。
大隈さんがさらに長生きしてパソコンの類を見たら、どれだけ喜んだことか・・・!

慶応3年(1867年)、尊王の志士として活動していた大隈さんは「大政奉還」運動に参加します。
副島種臣(そえじまたねおみ=「政体書」を起草し、明治政府で外務卿に就任)と共に脱藩して京都へ上り、徳川慶喜と接触を図りました。
これに失敗!
逮捕されて、1ヵ月の謹慎処分を受けてしまいました。

「大政奉還」の実現後は、藩主の鍋島直正に「直ちに兵を率いて上洛いたしましょう!」と熱弁!
ところが直正は「委細聞きおく」とあまり相手にしてくれなかったそうです。
この瞬間、佐賀藩は「明治維新」という歴史の大転換期に乗り遅れてしまったと言えます。

明治政府が樹立すると外国事務局判事に任じられ、長崎の浦上で逮捕された68名のキリシタンに抗議してきたイギリス公使パークスに対して、
「日本がその法によって日本人を処罰する。これは独立国の権利であって外国の内政干渉を受ける謂れはない!」
と発言して政府内の信頼を得ました。
その後、大蔵大輔(たいふ)、参議、大蔵卿などの要職に就きました。

国会開設と憲法制定をめぐる「明治14年の政変(1881年政変)」で、伊藤博文などの薩長勢と対立して失脚すると、下野して「立憲改進党」を結成します。
「東京専門学校(後の早稲田大学)」を創立したのもこの時期です。

高い外交能力を必要とした政府は再度大隈を呼び、外務大臣に就任して不平等条約改正のために活動しました。
ところが反対派の爆弾テロによって右足を切断するという重傷を負い、辞職を余儀なくされます。
右足を失った大隈さんは「これで血のめぐりが良くなる」という豪放磊落なセリフを残したそうです。

政治生命を断たれたかのように見える大隈さんですが、生来の負けず嫌いが出たのでしょうか、明治29年(1896年)に第2次松方内閣で外務大臣に再度就任します。
そして、明治31年(1898年)には板垣退助などと「憲政党」を結成し、「薩長藩閥」以外からでは初めての内閣総理大臣に就任しました!
その後、一度政界を引退するんですが、薩長を中心とした藩閥政治に反対する「第一次護憲運動」を機に復帰します。(大隈さんは節々で薩長と対立している気がします)
大正3年(1914年)、再び内閣総理大臣に就任するに至ります!
約2年間、総理を務め総辞職後に政界から完全に引退しました。
この時の年齢は何と満78歳6か月!
これは歴代総理大臣の中で最高齢記録だそうです。

大隈さんは、大正11年(1922年)1月10日に早稲田で亡くなりました。
自邸での告別式の後、日比谷公園で「国民葬」が行われ、一般市民の方が参列しました。
その数何と約30万人!
早稲田大学には日比谷を埋め尽くす人々の写真が残されていて、ネットからも見ることができます。
いかに庶民から慕われていたかがわかります!

ちなみに、日本のお金の単位を「円」にしたのは大隈さん!
「わが国で貨幣を方形とするのは新しく、昔から甲州金(山梨で使われていた金貨)は“円”形である!」と円の形をした貨幣を制定し、単位を「円」にしたと言います。
また、お金を表す指のサイン(OKサインをひっくり返したような形)を考えたのも大隈さんだとか。
「親指と人さし指の先を合わせて円の形にすると、3歳の童子でも(お金のことだと)わかる!」と話したそうです。

築地に豪邸を構えて、伊藤博文、井上馨(かおる)、渋沢栄一、山県有朋(ありとも)、五代友厚(ごだいともあつ)、前島密(ひそか)などなどの気の合う人物たちを居候として侍らせた大隈さん!
豪快で贅沢な生活を送り、中国の小説『水滸伝(すいこでん)』に出てくる場所に見立てられ「築地の梁山泊(りゅうざんぱく)」と呼ばれたとそうです。
案外こっちの方(=指でお金のサイン)が好きだったね。







 

wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル



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第19回 沖田総司

第18回 小松帯刀

第17回 松平容保

第16回 板垣退助

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第14回 桂小五郎(木戸孝允)

第13回 ペリー

第12回 近藤勇

第11回 岩倉具視

第10回 中岡慎太郎

第9回  徳川慶喜

第8回  大久保利通

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