ペリー


【幕末タレント名鑑 ハ行「ペリー」】
名前:マシュー・カルブレイス・ペリー 所属:アメリカ海軍
出身地:アメリカ合衆国ロードアイランド州ニューポート

生年月日:1794年4月10日
没年月日:1858年3月4日
思想:開国

第13回は、蒸気船海軍の熊おやじ、ペリー提督です!

日本で一番有名な歴史上のアメリカ人とも言えるペリー提督はと言えば、「黒船」「開国」「日米和親条約」などなど。
良くも悪くも、日本を鎖国から目覚めさせた人物です。

海軍に所属した父を持ち、自身も16歳(数え年:以下同じ)の時に海軍に入りました。
19歳で「米英戦争」に参加し、その後は順調に出世!
20歳で海軍少尉、32歳で海軍中佐、43歳で海軍大佐、46歳で代将(≒海軍のトップ)と昇進したと言われており、世界でもまだ珍しかった蒸気船を使った海軍づくりを目指しました。
海軍の士官たちの教育にも力を入れたことから「蒸気船海軍の父」とも呼ばれております。
また、ペリー提督は威張った態度や大きな声が特徴的だったことから、部下の海兵隊員に「熊おやじ」と陰口をたたかれていたとか。

さて、ペリー提督が日本と関わりを持ち始めるのはその後!
1852年、59歳のペリー提督はアジア東インド艦長の司令官に就任し、日本を開国させる交渉を任されたんです。
そして、同年11月、バージニア州ノーフォークをミシシッピ号で出航しました。

■経路
大西洋⇒マデイラ島(ポルトガル)⇒セントヘレナ(アフリカ:イギリス領)⇒ケープタウン(南アフリカ)⇒モーリシャス⇒セイロン(スリランカ)⇒シンガポール⇒マカオ⇒香港⇒上海

上海に到着したのは、出発から半年後の1853年5月4日でした。
ここで他の軍艦と合流し、サスケハナ号を旗艦(司令官のいる軍艦)として、江戸へ向かうわけですが、その前に、琉球王国を見学&測量し、6月には小笠原諸島を探検しました。
その後、ペリー提督はいよいよ江戸へ向かうわけですが、日本との開国交渉のポイントを事前にこう考えていたといいます。

「(権威に弱い日本人には)恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう」
うぅぅ、悔しいかな、的を射ている・・・!
実は、ペリー提督は日本関係の本を買い漁って猛勉強してきたそうで、傾向と対策をしっかりとされてしまったわけです。
こういった軍事力による威圧的な交渉を「砲艦外交」と言ったりもします。
鎖国と言うわりに、アメリカにも日本関連の本が結構あったんですね〜。

さて!
1858年7月8日(嘉永6年6月3日)、ペリー提督率いる軍艦4隻がとうとう浦賀に来航しました!
日本人が初めて見る蒸気船(今までは帆船)2隻がモコモコと黒い煙を出して、防腐剤で黒く塗られていたことから「黒船」と呼ばれました。
黒船来航は大きな衝撃だったらしく、当時こんな狂歌(≒おもしろ短歌)が詠まれました。

「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四杯で 夜も眠れず」

ウマい〜!
上喜撰(じょうきせん)は宇治の高級茶のことで“お茶のカフェイン作用で眠れなくなる”ことをペリー提督の蒸気船の混乱で眠れなくなっていることをかけているわけです!
また、船を一杯、二杯と数えることがあるとか!
この歌でもわかるように、実は庶民は意外と面白がっていたそうで、お茶を飲んだりタバコを吸ったりしながら黒船見学を楽しんでいたそうです。
中には、ペリー提督の艦隊まで船を出して物々交換をしてタバコなどをゲットしていた強者もいたとか!
それに対してペリー提督は、初来日をしたためた日記でこんな旨のことを書いています。
「日本人は頭の上にピストルを乗せている」
提督、それチョンマゲです(笑)

ペリー提督はアメリカのフィルモア大統領の親書を渡して、幕府から翌年までの猶予を求められ日本を離れます。
そして、1854年2月13日(嘉永7年1月16日)、再び日本にやってきました。
1年の猶予ということだったんですが、半年も早くやってきました。
これは江戸幕府の将軍・徳川家慶が亡くなって日本が混乱している隙を突こうと考えたと言われています。
したたか〜!
この時、吉田松陰が黒船に近づき密航を訴えてきたと言います。
一説には、松陰はペリー暗殺を企てていたそうなので、もちろんペリー提督は拒否しました。

1854年3月31日(嘉永7年3月3日)、約1ヵ月の協議を経て「日米和親条約」が結ばれることになりました。
これによって、3代将軍・徳川家光以来200年以上続いてきた鎖国が終わりを告げます。
ペリーは6月25日に下田を出航し、帰りに琉球王国とも通商条約を結びアメリカへ帰国しました。

1858年3月4日、ペリー提督はニューヨーク州で亡くなります。
享年65。
ペリー提督は、亡くなる前年に日本への航海や条約などに関して記した『日本遠征記』を完成させました。
これは当時を知る超一級史料として重宝されているそうです。
日本の目を覚まさせた蒸気船海軍の熊おやじのお話でした。


 


wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル