西郷隆盛


【幕末タレント名鑑 サ行「西郷隆盛」】
名前:西郷隆盛(さいごうたかもり)
所属:薩摩藩→明治政府
出身地:薩摩国鹿児島城下(鹿児島県鹿児島市)

生年月日:文政10年12月7日(1828年1月23日)
没年月日:明治10年(1877年)9月24日
思想:尊王攘夷→倒幕→征韓論

第2回は、志士たちみんなのアニキ、西郷さんです!

薩摩藩の下級武士として生まれたけども、藩主の島津斉彬(なりあきら)に才能を見出され斉彬の下で御庭方(=秘書官)として働きます。

しかし!かわいがってくれていた斉彬が亡くなって、西郷さんはちょっとヤバい状況に陥ってしまいます・・・。
幕府と敵対するような尊王攘夷派の人物と交流をしていた西郷さんは幕府のブラックリストに載ってしまうんです。
この状況に絶望した西郷さんがとった行動は何と自殺未遂!
お世話になっていた尊王攘夷派の僧侶の月照と入水したのですが、西郷さんだけ助かる結果となっていしました。
このことは西郷さんの心に強く刻まれたようで、「死ぬはずだった自分が生き残ったということはこの世にやるべきことがあるのだ!私は天命によって生かされている!」と思うようになったといいます。

ブラックリストに載ってしまった西郷さんは名前を変えて奄美大島に隠れて住みます。
そして、「安政の大獄」や「桜田門外の変」など時代が大きく動き始めた時、親友の大久保利通などの力で再び薩摩へ戻ることになりました。
幕末の薩摩藩は確実に西郷さんを必要としていたのです!

さあ、ここから西郷さんの八面六臂の活躍が・・・。
いやいや、まだヤバい状況なんです。
何がヤバいかというと、斉彬の後に薩摩藩の大殿様だった島津久光(ひさみつ)と、西郷さんはめっちゃくちゃ仲が悪いんです!
もう引くくらい仲が悪い!

薩摩に帰ってから初めて久光に面会した西郷さんは、「兵を連れて京都に上る!」という久光に対して、「それはジゴロでごわす!(怒)」と言ってしまったとか。
「ジゴロ」は薩摩の方の方言で「田舎者」を指す言葉です・・・。
さらに、久光の「下関に待機」という命令を無視して大阪へ向かいます・・・。
そして、久光から厳罰が「西郷は島流し!」
残念かな、西郷さんは徳之島へ流されてしまいます。
さらに、3カ月後には、遠島の中で一番が罪の重い、沖永良部島へさらに流されることになってしまいました。
まさにオーバーキル・・・。
西郷さんが再び薩摩へ戻るのは、それから2年後になります。

元治元年(1864年)、西郷さん待望論が巻き起こっていた薩摩藩!
藩士(精忠組)は渋る久光を何とか説得し西郷さんのカムバックを実現にこぎつけました!
グッジョブ!!!

ここから、天命を全うすることを誓った西郷さんが、政治の表舞台でバンバン活躍していきます!

「八月十八日の政変」で京都を追放された長州藩が再び京都を奪還しようと仕掛けてきた「禁門の変」や、その長州藩を懲らしめるための「第一次長州征伐」などで軍の中心として参加しました。
ただ西郷さんはこの辺りで気付き始めます。
「幕府、もうヤバいんじゃないか・・・?」と。
そして、前後して初めて面会した勝海舟が決定打を打ちます。
「オレは幕臣だから言いづらいけども、幕府はもう終わりだな。幕府には遊んでばっかりの無能でポンコツなやつばかりだ」(要約)と。
そして、西郷さんは新たに「倒幕」という考え方が頭の片隅に浮かんだとか!

倒幕をして朝廷を中心に諸藩の連合政権を創ることを目指し始めた西郷さんは、薩摩藩と犬猿の仲だった長州藩に接近し「薩長同盟」を結びます。
実は一度、西郷さんは薩長同盟の会見をすっぽかしてしまっています。
長州藩の桂小五郎は大激怒したと言いますが、坂本龍馬が間を持ってくれたおかげで、同盟を結ぶことができたとか。
この同盟もあったため「第二次長州征伐」には薩摩藩は参加せず、倒幕を一気に進めていきました。

「大政奉還」を経て、朝廷は「王政復古の大号令」を発し、御所を封鎖して「小御所会議」を開きます。
会議の結果、かやの外だった徳川慶喜は辞官納地(官位を辞して領地を返上=クビ)することになってしまいました。
この強硬策に幕臣たちは反発!「戊辰戦争」に突入します。

新政府軍の実質上の参謀として旧幕府軍を圧倒し、江戸城に攻め寄せた際は旧幕府の山岡鉄舟や勝海舟と交渉をして「江戸城無血開城」に至りました。
この交渉が結ばれたのは江戸城総攻撃の前日だったとか。

戊辰戦争が終わった後。西郷さんは明治政府の出仕を断り薩摩で隠居生活に入ります。
ところが、政府は西郷さんの力を求めていて、何度も出仕を促します。
弟の西郷従道の説得でようやく承諾した西郷さんは上京。
その後、政府の中心として活動した西郷さんですが、ある主張が政府に受け入れられず辞職することになりました。

ある主張とは「征韓論」。
武力を持って朝鮮を開国しようとする考え方なのですが、西郷さんの他に、板垣退助、江藤新平、副島種臣などが主張しました。
ところが、ヨーロッパを視察してきた大久保利通や木戸孝允、岩倉具視などは内政の重要性を説き、結局西郷さんなどが政争に敗れることとなってしまったんです。

再び薩摩に帰った西郷さんは私学校を開き士官の養成をしようとするのですが、これが結果的によろしくなかった・・・。
給料や立場などが恵まれなくなった士族(元武士)が大きな不満を持つようになり、西郷さんの私学校も例外ではなかったんです。
私学校の生徒たちは、政府の方針に反旗を翻し、武力蜂起してしまったのです。
これが有名な「西南戦争」です!
戦略性のない蜂起だったせいか、西郷軍は各所で政府軍に敗北し、西郷さんが城山で自刃することで戦は終わりを告げました。

享年51。
味方だけでなく敵からも愛された西郷さんの最期の言葉は、「もう、ここらで良か」だったとか。
一度は賊軍として扱われた西郷さんでしたが、その人柄を愛した明治天皇の意向で、西郷さんの死から12年後、大赦され正三位を贈られることとなりました。

天命を全うした西郷さんのお話でした。


wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル