坂本龍馬

【幕末タレント名鑑 サ行「坂本龍馬」】

 

名前:坂本(さかもと)(りょう)()

所属:土佐藩(土佐勤王党)→亀山社中→海援隊

出身地:土佐国高知(高知県高知市)

 

生年月日:天保61115日(183613日)

没年月日:慶応31115日(18671210日)

思想:尊王攘夷→開国・倒幕

 

記念すべき第1回は、幕末イチの人気を誇る坂本龍馬さん!

薩長(さっちょう)同盟(どうめい)大政(たいせい)奉還(ほうかん)倒幕(とうばく)明治(めいじ)維新(いしん)、社会科のノートに赤文字で書いたこの幕末の出来事は、全て龍馬さんが仕掛け人だったとか言われています。

何かそう聞くと自分とは全く次元の違う人間な様で、実は龍馬さんのこと苦手なんです()

待たれい待たれい!決してネガティブな意味じゃないんです!

例えば、私は野球が大好きなんですが、イチロー選手とかダルビッシュ選手と「タイマンで酒を飲め」と言われたら、正直何を話してイイかわからないというか、何を話しても相手が楽しめないような凡人の質問ばかりしてしまいそうで、あんまり気が進まないんですよね。

「長谷川、坂本龍馬とタイマンで酒を飲め」と言われたら、もちろん気持ちは嬉しいんですが、ただただ自分の無力さを痛感するだけな様であんまり進まないんですよね。

「あの龍馬様がお前とタイマンで酒飲むわけないだろ!」

それを言っちゃあオシメェよ()

まあ、その話は置いておきまして、龍馬さんのお話をば。

若い頃は剣術に明け暮れた龍馬さん。

江戸での剣術修行に出た時に、何とちょうどペリーが黒船を擁して浦賀にやってきました。(黒船(くろふね)来航(らいこう)

この事件でかなり刺激を受けたんでしょう!

家族に「戦になったら異国人の首を打ち取って帰国します」と書き送ったとか。

そして当時最もセンシティブでクールだった思想の尊王(そんのう)攘夷(じょうい)思想(天皇を大切にし外敵を払う)に感化!

その思想を実現しようとしたグループの土佐(とさ)勤王党(きんのうとう)に入ります。

メンバーには龍馬さんの他に、武市半平太岡田以蔵中岡慎太郎などなど。

しかし、幕府は開国の政策を取っているわけで、なかなかウマくいかない。

モヤモヤの中、龍馬さんがとった行動は当時大変な罪だった脱藩(だっぱん)

ちなみに、今は毎年10月に高知県梼原町(ゆすはらちょう)で「脱藩マラソン」が開催されていて今年で4回目を迎えるそう。

まったく現代人も罪なお人()

脱藩後は、日本海軍の必要性を強く説いた勝海舟(かつかいしゅう)の下で神戸(こうべ)海軍(かいぐん)(そう)練所(れんじょ)の設立に力を尽くします。

そして姉の乙女に手紙で「勝(りん)太郎(たろう)(海舟)大先生の門人になり、ことの外かわいがられ候。――エヘン、エヘン」と書き送っているんです。

大いに自慢してる!()

しかし、この操練所には幕府に敵対するような思想を持つ者がいたため閉鎖に追い込まれてしまいます。

そんな時に龍馬さんが目を付けたのは、幕府の政治改革を実行し当時グイグイきていた薩摩藩

勝海舟の紹介で西郷(さいごう)隆盛(たかもり)と面会していた龍馬さんは、薩摩藩に操練所の塾生の航海技術を売り込み、見事薩摩藩をスポンサーとします。

これが日本初の株式会社と言われる亀山(かめやま)社中(しゃちゅう)(後の海援隊)の始まりです!

さらに今度は薩摩藩とは犬猿の仲であった長州藩に接触します。

幕府と敵対していた長州藩は武器が買えなかったので、薩摩藩の武器を亀山社中が仲介して長州藩に売り、代わりに薩摩藩で不足していた米を長州藩から購入し販売したそうです。

この亀山社中が間を持つことで両藩が交流を持ち、西郷隆盛と(かつら)小五郎(こごろう)の会談によって薩長同盟が結ばれたというわけなんです!

しかし!その翌日・・・。

幕府の手下である伏見奉行が龍馬さんを捕まえにきました!

いち早く異常に気付いた龍馬の恋人のお(りょう)は、自分が入浴中だったのはお構いなしに(あわせ)一枚で龍馬さんに急を知らせました。

襲撃に手を負傷したものの何とか脱出に成功し九死に一生を得ました。

これが寺田屋事件です!

この時の傷を癒すために塩浸(しおびたし)温泉(鹿児島県霧島市)というところにお龍と訪れているんですが、これが日本初の新婚旅行だったとかそうじゃないとか。

塩びたしって名前、何だか傷口にしみそう・・・()

龍馬さんが手を隠して写真に写っているのはその時の傷を隠すためだったとかそうじゃないとか。

その後、龍馬さん率いる亀山社中は海援隊へと名前を変え大きく成長を遂げます。

これは土佐藩の大きなバックアップがあったからです。

亀山社中の元土佐藩士の脱藩組と土佐藩の上士(じょうし)(=身分の高い武士)は元々激烈に仲が悪かったんですが、これも時代の流れ!

上士の代表であり土佐藩の参政であった後藤(ごとう)(しょう)二郎(じろう)は「土佐藩も武器がほしい!」ということで亀山社中と手を組んだんです。

これによって亀山社中は海援隊に改名しました。

さらに龍馬さんは手を組んだ後藤象二郎に京都へ向かう船で、ある8つの政治プランを提案します。

「天下の政権を朝廷に奉還せしめ」で始まるこの政治プランは、後藤象二郎の手によって土佐藩の大殿様であった(やま)内容堂(うちようどう)に伝えられ大政奉還へと繋がり、さらに明治政府の政治の骨組みとなったと言われています。

これが船中八(せんちゅうはっ)(さく)

もうここまで来るとタイマンでお酒は飲めないわけです()

そんな龍馬さんの最期は近江屋事件

龍馬さん念願の大政奉還からわずか1か月後、京都の近江屋で陸援隊(りくえんたい)中岡(なかおか)慎太郎(しんたろう)といたところを京都見廻組(きょうとみまわりぐみ)6名に襲撃されて二人とも命を落としてしまいます。

始めは「間違いなく新撰組(しんせんぐみ)の仕業だ!」と言われていたそうですね。

ちなみに、近江屋の跡地は現在、回転寿司屋さんになっているとか。

なるほど、そういうことですね、時代を握る人は流れていくってことですね。

栄枯盛衰!!

あんまりウマくなかったですかね()

さて、近江屋の跡地の回転寿司屋さん、京都へ訪れた際は寄ってみたい場所の1つですね。

寿司はウマいかな?

 

 

wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル