島津斉彬


【幕末タレント名鑑「島津斉彬」】

名前:島津斉彬(しまづなりあきら)
所属:薩摩藩
出身地:江戸薩摩藩上屋敷(東京都港区)

生年月日:文化6年3月14日(1809年4月28日)
没年月日:安政5年7月16日(1858年8月24日)
思想:開国、佐幕



第28回は、「日の丸」を作った蘭癖名君、島津斉彬さんです!

島津家は、鎌倉時代から薩摩の地を治め、歴代当主が優秀だったことから「島津に暗君なし」と称えられています。
斉彬さんはまさにその優秀な当主の1人で、「幕末の四賢侯」に数えられるなど、幕末きっての名君として周囲から慕われていました。

斉彬さんは、「蘭癖大名」と呼ばれたひいおじいちゃんの重豪(しげひで)の影響を大きく受けて、小さい頃から海外の文化に強い興味を持っていたそうです。
その英明さを買われたのか、4歳の時に島津家当主の跡継ぎに指名されました。
ところが、実際に当主を引き継いだのは42歳の時!
40年近く、お預け状態になっていました。

これは曽祖父譲りの「蘭癖」が深く影響していたといいます。
重豪は政策に莫大なお金を費やし、薩摩藩に500万両(≒5000億円)というとんでもない借金を作ってしまったそうです。
そんな重豪の薫陶を受けた斉彬さんのことを「重豪の再来だ!藩主を継がせるなんてとんでもない!」と父の斉興(なりおき)や家老の調所広郷(ずしょひろさと)が大反対し、当主に就くまでにずいぶんと時間がかかってしまったわけなんです。

藩主になるまでの間、異母弟である久光(ひさみつ)を推すアンチ斉彬派との対立はかなり深刻でした。
(斉彬の母は正室・弥姫、久光の母は側室・お由羅)
お由羅が斉彬を呪い殺そうとしているという噂が流れ、それに激怒した斉彬派がお由羅暗殺を企てます。
ところが、それがバレてしまい、逆に計画の首謀者13名が切腹、多数の関係者が遠島(島流し)や謹慎に追い込まれるという大きなお家騒動へと展開してしまったんです。(「お由羅騒動」「高崎崩れ」)

この一件で斉彬派は完全に力を失い、藩主には弟の久光が就く流れになってしまったのですが、ここで江戸幕府が待ったをかけました。
斉彬さんの能力を非常に高く評価していた老中の阿部正弘(あべまさひろ)が介入して形勢逆転!
父の斉興を隠居させ、斉彬さんが藩主の座に就くことになりました。
これが嘉永4年(1851年)の出来事。
ペリーが来る2年前の話ですが、この時の幕府の力は相当強かったんですね。

藩主に就任した斉彬さんは「集成館(しゅうせいかん)事業」というものを推し進めます。
集成館はアジア初の近代洋式工場群のことで、その工場群を中心に、反射炉や溶鉱炉、洋式造船や地雷、水雷、ガラス、ガス灯などを製造し、富国強兵・殖産興業に取り組みました。

中でも、ガス灯や蒸気船の製造は日本初だったと言われています。
(日本人だけによる純国産蒸気船は宇和島藩が初めて製造)
また、ガラス製造では「薩摩切子(さつまきりこ)」と呼ばれる名産品を生み出しました。
何でも当時の薩摩切子はかなり貴重なものらしく、数百万の値打ちがあるものもあるとかないとか。
とりあえず、実家の蔵を探索してみようと思います。

その他に、人材登用の面でも幕末に多大な影響を与えました。
斉彬さんが身分に関係なく取り立てた人物には、西郷隆盛(さいごうたかもり)、大久保利通(おおくぼとしみち)、大山巌(おおやまいわお)、黒田清隆(くろだきよたか)などなど!
また、アメリカから帰国したばかりのジョン万次郎を招いて藩士や船大工に造船術や航海術を学ばせています。

そして、幕末を代表する大名たちとの交流も盛んで、「幕末の四賢侯」の松平春嶽(まつだいらしゅんがく)、伊達宗城(だてむねなり)、山内容堂(やまうちようどう)や、水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)、尾張藩主の徳川慶勝(よしかつ)などと意見を交わし合い、幕政へも積極的に関わっていきました。
ペリー来航後の混乱は、公武合体を推進し、朝廷や有力大名が参政して乗り切ろうと考えたんです。
養女である篤姫(あつひめ)を13代将軍の徳川家定(いえさだ)に嫁がせ、将軍継嗣問題では一橋慶喜(後の徳川慶喜)を推す一橋派に属しました。

ところが、政敵の南紀派である井伊直弼(いいなおすけ)が大老に就任してしまい、将軍の跡継ぎは徳川慶福(後の徳川家茂)に決定してしまいました。
さらに、直弼は反対派を大弾圧する「安政の大獄」を始め、南紀派の大名たちはことごとく罰せられ、隠居や謹慎に追い込まれてしまいました。
斉彬さんは事態打開のために薩摩藩の藩士5000人を率いて上洛し、抗議に出ることを決心します。
しかし、その矢先、当時日本に流行していたコレラにかかり、享年50という若さで急逝してしまいました。

この急すぎる死に対しては様々な見解があるそうで、薩摩藩内のアンチ斉彬派である父の斉興や異母弟の久光による暗殺、将軍継嗣問題で対立した井伊直弼による暗殺などが当時からささやかれたと言います。
真相はわかりませんが、名君で知られた斉彬さんの死を多くの人が惜しんだからこそ生まれた噂ではないかと思います。

ちなみに、日本の国旗である「日の丸」の生みの親は斉彬さんだと言われています。
「日米和親条約」調印後、外国船と区別するために日本の国旗を制定する必要がありました。
この時、斉彬さんが老中の阿部正弘に進言したのが「日の丸」の旗でした。
理由は“鹿児島城から見た桜島に昇る太陽があまりに美しかったから”だとか!
日本人なら一度は眺めに行きたいですね。








wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル




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