高杉晋作


【幕末タレント名鑑 タ行「高杉晋作」】
名前:高杉晋作(たかすぎしんさく)
所属:長州藩→奇兵隊
出身地:長門国萩城下(山口県萩市)

生年月日:天保10年8月20日(1839年9月27日)
没年月日:慶応3年4月14日(1867年5月17日)
思想:尊王・攘夷→倒幕・開国

第3回は、幕末のムリゲーを幾度もクリアした革命児、高杉晋作さんです!

幕末の志士たちというと、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬など、下級武士だった人が多いのですが、晋作さんは珍しく名門の出だったようです。
そのため小さい頃からきちんと教育を受けて、誰が見ても頭の良い聡明な子どもだったそうです。

藩校の明倫館(めいりんかん)に特待生で入学するのですが、江戸時代の形式ばった教育は晋作さんの溢れんばかりのエネルギーを発散できる場所ではありませんでした。
そんな時、友人の久坂玄瑞(くさかげんずい)が誘ってくれたのが「松下村塾(しょうかそんじゅく)」!
あの吉田松陰先生の私塾です。
家族の強烈な反対がある中、松陰先生からたくさんの知識を吸収し視野をグッと広げます。
優秀ではあったのですが、持ち前のプライドの高さと我の強さからか、他の生徒から反感を買い「暴れ牛」といじられることもあったとか。

文久元年(1861年)に、長州藩主の世子であった毛利定弘の小姓となり、幕府の上海使節団に入って現地に2ヶ月滞在します。
そこで欧米諸国に半植民地化された上海を見て、大きな危機感を感じます。
「このまま無暗に開国しては、日本が欧米の植民地になってしまう・・・。」(想像)
そしてたどり着いたのが、尊王攘夷です。
江戸へ戻った晋作さんが取った行動は、江戸にあるイギリス公使館の焼き討ち!
ずいぶんと過激な行動に走ってしまい、死刑は免れたものの、10年間謹慎ということになってしまいました。

文久3年(1863年)になると、尊王攘夷が藩の考えであった長州藩は関門海峡で外国船を砲撃するのですが、たちまち反撃をくらい大敗・・・。(「下関戦争」)
ここで干されていた晋作さんにチャンスが!
藩主の毛利敬親が晋作さんを呼び出し、軍備の再編成を依頼してきたのです。
そして晋作さんが創り上げたのが、身分に関係なく有志を集った「奇兵隊」です!
この奇兵隊は、始めは暴力事件などを起こして問題視されたんですが、危機的状況である長州藩に徐々に実力を認められていきました。

ところが、「八月十八日の政変」で京都から長州藩の勢力が追放され、さらに京都を奪還しようとした長州藩は「禁門の変」を起こすのですがこれも敗れ、晋作さんの友人の久坂玄瑞は自害をしてしまいます。
さらに長州藩は、元治元年(1864年)8月、英仏米蘭の4カ国連合艦隊と戦いを始めるのですが、準備をしていたにも関わらず、これまた惨敗・・・。

そんな長州藩の大ピンチの時に晋作さんは、何と謹慎中!
実は、奇兵隊の暴力事件に関係して、また干されていたんです。
ところが、再び長州藩は晋作さんを急に呼び出してこう命令します。
「4カ国艦隊と講和してこい!」と。
このムリゲー交渉に対して、晋作さんは相手に一切ひるむこともなく、見事講和に持ち込みます!

しかし、今度は幕府の「第一次長州征伐」が始まりました。
「禁門の変」で朝敵となった長州藩は、日本中の敵となっていたんです。
これ以前に何度も惨敗を重ねる長州藩に戦う力もなく、ここは幕府に従います。
そして、幕府に反抗的な姿勢だった長州藩の尊王攘夷グループは粛清を受けることになりました。
晋作さんはいったん九州の福岡へ逃れました。

その2カ月後、晋作さんは再びムリゲーに挑戦します。
長州藩の考えを再び尊王攘夷に変えるために、クーデターを起こしたんです。
率いた兵力は、わずか80人!す、少ない!
そして、このムリゲークーデター、何と成功します!!す、スゴイ!!
晋作さんは長州藩の考えを尊王攘夷、しいては倒幕へと変える革命に成功しました。

ところが幕府が黙っていません!
「第二次長州征伐」が決定され、慶応2年(1866年)6月に幕府軍の攻撃が始まりました。
幕府軍の兵力は総勢15万!
そして、晋作さん率いる長州藩の兵力は総勢4000!
4000!?約40分の1!!
「薩長同盟」を既に結んでいるとは言え、さすがにこれはムリゲーすぎる・・・。
ところが晋作さんは諦めない!
奇兵隊を率い夜襲をしかけ、同盟相手の薩摩藩などから手に入れていた最新兵器で戦い、何と奇跡的に勝利!!
(戦意があまりなかった幕府諸藩の撤退や将軍・徳川家茂の死去などが重なるツキもあり!)

そして日本史は「大政奉還」へと向かうのですが、晋作さんはそれを見届けることはできませんでした。
幾度もムリゲーをクリアし続けた晋作さんの身体は既に限界を迎えていました。
慶応3年(1867年)4月14日、肺結核のため亡くなります。
辞世の句は、「おもしろき こともなき世を おもしろく・・・」と書いたところで力尽きたそうです。
享年27。
その半年後、晋作さんが強く望んでいた「大政奉還」が果たされ、江戸幕府は終わりを告げました。
そして、明治維新の中心となった長州藩の志士たちに、晋作さんの意志はしっかりと受け継がれていきました。

幕末にその名を刻んだ革命児のお話でした。



wrigting by 歴史芸人 / 長谷川ヨシテル