由利公正


【幕末タレント名鑑「由利公正」】

名前:由利公正(ゆりきみまさ)
所属:福井藩→明治政府
出身地:福井城下毛矢(福井県福井市毛矢)

生年月日:文政12年11月11日(1829年12月6日)
没年月日:明治42年(1909年)4月28日
思想:開国







第33回は、「五箇条の御誓文」を生み出した龍馬の親友、由利公正さんです!

2014年の4月にNHKの番組で、坂本龍馬の生前最後の手紙と言われるものが一般家庭のちゃぶ台の下から発見されました。
「大政奉還」後の新政府の財政や人材などについて書かれた手紙(後藤象二郎宛て)ですが、この中で新政府の財政の担当者として龍馬が推薦している人物が“三岡八郎(みつおかはちろう)”、後の由利公正さんでした。
さて、財政能力に長け、龍馬の親友だったという公正さんとは一体どんな人物だったんでしょうか。

公正さんは、石高100石の福井藩士の三岡義知(よしとも)の嫡男として生まれました。
(福井藩士の時は“三岡八郎”と名乗っていましたが、便宜上“由利公正”で統一します!)
あまり裕福な家柄ではなかったそうですが、家計のやりくりが上手な母親の下で育ち、父からは武道を学び、質実剛健な武士へと成長していったそうです。
そして、天保9年(1838年)に松平春嶽(まつだいらしゅんがく)が福井藩主に就任すると、財政再建を目指す新たな人材として公正さんは抜擢されることとなりました。

嘉永4年(1851年)には、熊本出身の儒学者・横井小楠(よこいしょうなん=維新十傑の1人)を師事して、殖産興業や財政学を学びます。
嘉永6年(1853年)に家督を相続すると、藩命で江戸の品川台場の警備に派遣されることとなりました。
その時、公正さんは日本中を騒然とさせた「黒船来航」を目撃することになります。
黒船を見た公正さんは「富国強兵(≒経済活性化・軍事力アップ)」の重要性を感じたそうです。

翌年に福井へ戻ると、同僚の橋本左内(はしもとさない)などと共に、さっそく藩政改革に取り組みました。
財政面では、どん底の財政難だからと言ってただ単に倹約をするのではなく、お金を循環させる方法を取ります。
藩内の生産者に資金として藩札(はんさつ)を低金利で貸し付けて元手とさせ(≒藩からの資金援助)、福井産の生糸を売るために貿易が盛んな長崎や横浜に独自の販売ルートを開拓し物産総会所(≒アンテナショップ)を設立しました。
軍事面では、日本海に現れる外国船に備えて越前海岸の各地に洋式大砲を設置し、最新式の鉄砲(銃)の量産を試みました。

この藩政改革で福井藩のボロボロだった経済は大復活!
公正さんを大抜擢した春嶽の見込んだ通り、いや、それ以上の活躍を果たしました。
そして、文久2年(1862年)に春嶽が政治総裁職(せいじそうさいしょく)に就任すると、春嶽の側用人(そばようにん≒側近)になり、福井藩だけではなく日本全体の財政を担う超重要人物となりました。

が!!!!
幕末の偉人たちの人生というのは、すんなりと行きません。
だいたいあの時期があります。
そうです、“謹慎”です。

公正さんは「第一次長州征伐(元治元年=1864年)」を支持しませんでした。
“国内で争わず、逆に長州藩や薩摩藩などの雄藩と共に国政を行っていくべきだ!”と主張したのですが、藩内の反対派の大圧力を受けて、福井での蟄居・謹慎の処分が下されてしまうのでした。(「第一次長州征伐」が起きる前年に処分される)
この謹慎が解かれるのは、慶応3年(1867年)!
およそ5年の間、幕末の表舞台から身を引くこととなってしまいました。

ところが、この謹慎中の公正さんに「どうしても会いたい!」という人物が福井を訪れます。
坂本龍馬です!
公正さんは足羽川(あすわがわ)の近くにある莨屋(たばこや)旅館で、「三岡、話したいことが山ほどあるぜよ!」と叫んだと言うワクワク龍馬と、早朝から深夜まで延々と日本の将来を語り合ったと言います。
先日番組で発見された手紙は、この時の会談で公正さんの財政能力に感じ入った龍馬が後藤象二郎へ宛てたものだったというわけです。

直後に龍馬は暗殺されてしまいますが、親友の推薦もあってか、明治維新後に謹慎を解かれ新政府の参与となります。
任された仕事は財政政策!
会計事務掛・御用金穀取締(≒大蔵大臣)として、新政府の財政基盤を創り上げました。
また、明治政府の基本方針として「議事之体大意(ぎじのていたいい)」をまとめあげます。
これはあの「五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)」の原案になっています!

明治4年(1871年)には、「廃藩置県」後では初の東京府知事に就任しました。
この時、江戸時代から火事が多かった東京の防火対策として、銀座にレンガ造りの建築物をたくさん建てる政策を取って、街並みを整備したそうです。
今も銀座大通りには公正さんの業績を称える石碑が建っています。

その後、「岩倉使節団」に随行して、(あの有名な集合写真には残念ながら写っていません)アメリカやヨーロッパの議会制度を日本へ持ち帰ってきました。
そして、明治7年(1874年)には、板垣退助や江藤新平などと共に「民撰議員設立建白書」を政府に提出し、国会の開設に大きな役割を果たします。
晩年には、貴族院議員や有隣生命保険(後に明治生命と合併)の初代社長に就任するなど精力的に活動し、明治42年(1909年)に80年の生涯を終えました。

公正さんには、龍馬との不思議な縁を感じられるこんなエピソードが残っています。
龍馬が福井の公正さんを訪ねてからおよそ1週間後、公正さんは足羽川沿いの土手を歩いていました。
その時、突風に襲われて、懐に忍ばせていた龍馬からの手紙が落ちてしまいました。
そして、その落ちた瞬間が、なんと龍馬が京都で暗殺された瞬間だったと言われているそうです。

その手紙、ひょっとするとあなたの家のちゃぶ台の下にあるかもしれませんね〜。





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