「試衛館〜伝通院 浪士組結成!」
〜近藤勇の試衛館道場(市谷甲良屋敷)から伝通院を歩く〜
【2014年4月作成】


こんにちは!黒船社中デザイナーのエビハラクミです。

「東京・幕末ゆるぶらさんぽ」ということで、幕末の志士たちや幕末に起きた出来事にゆかりのある場所をゆる〜くぶらりとさんぽしながら巡ってレポして参ります!

今回のお題は・・・


「試衛館〜伝通院 浪士組結成!」


文久三年二月、新選組の元となる浪士組が江戸を出発して京へ向かいました。

近藤勇率いる試衛館道場の面々もこれに参加して上洛、ここから新選組の歴史がスタートするのですが、今回はその浪士組結成時の幕末にタイムスリップした気分でぶらりしてみたいと思います!


新選組の起源は試衛館にあり!

幕末の京で名を挙げた新選組ですが、その主要メンバーは江戸の天然理心流近藤道場(試衛館)に集っていた面々でした。

幕府が将軍の上洛に際して京の治安維持のための警備要員として、身分を問わず有志のものを集めるという噂を耳にした近藤勇率いる試衛館のメンバーは、これは参加するしかない!と上洛を決意します。

近藤勇の試衛館道場は市谷甲良屋敷にあったそうです。

(実は「試衛館」という名は当時使われていなかったようなのですが、やっぱりなじみ深いので試衛館と呼ぶことにします^^)

私は三谷幸喜氏の大河ドラマ「新選組!」が大好きなので、試衛館でみんなにぎやかにやっていたのかな〜なんてドラマのイメージで思ってしまうのですが、実際にはどういう雰囲気だったんでしょうね(^^;;

でも残念ながらこの試衛館の道場は現存はしていません。

現在は記念碑が建てられているので、この辺にあったんだな〜ということが分かります。

場所は現在の市谷柳町交差点近く、柳町病院の裏あたりの住宅街の一角です。

この辺り一帯が市谷甲良屋敷で、その一角に道場があったようです。



*小道の突き当たり、建物に取り囲まれて小さな鳥居が見えます*



*鳥居の横に試衛館跡の碑が*

そういえば、大河ドラマでも試衛館の門の横にちっちゃい祠がありましたね。

この稲荷神社は約350年前からあるということなので、きっと近藤さんたちも手を合わせていたんじゃないかな〜なんて思いながら、在りし日の試衛館に思いを馳せますw



*神社に猫さんはお似合い*


試衛館から伝通院まで

さて、文久三年二月四〜六日、小石川伝通院で浪士組参加者の会合が行われ、八日にそこから総勢234名の浪士たちが中山道を京へ向かったのですが、昔の人って交通手段は徒歩ですよね。

ってことは試衛館から伝通院まで会合を含めて何度も歩いて往復してたんだよな…

じゃあ歩くと一体どのくらいかかるんだろう??

ってことで実際歩いてみました!

市谷甲良屋敷から小石川伝通院まで、せっかくだから当時近藤さんたちが通ったであろうルートで行きたい!と思って昔の地図と照らし合わせてみると、現在とほぼ同じように道があったので、たぶん彼らも通ったであろう道をいざスタート!


試衛館跡から大久保通りに出て右へ。

ずっと進むと神楽坂へ出ます。

そのまま大久保通りを進んで筑土八幡(つくどはちまん)へ。

桜がとってもきれいだったのでちょこっと寄り道w



*当時の地図にも載っているのできっと近藤さんたちもここでお参りしたことあるはず!?*


ここから大久保通りを左折して目白通りの大曲の方へ抜けていきます。

そして神田川を渡って安藤坂下に出ます。

当時は神田川ではなく江戸川と呼ばれていたそうです。

このちょっと西よりに江戸川橋があるんですが、なんで神田川に掛かってるのに江戸川橋なんだろう?って思ってたらそういうことだったんですね!

ちょっと話がそれましたが、ふたたび安藤坂へ。

安藤坂の名前は安藤飛騨守の上屋敷があったことに由来しているそうで、昔はかなり急な坂だったのを明治42年に路面電車を通すときに少し緩やかになるよう工事したそうなんですが、それでもなかなかの坂です…(^^;;

そんな安藤坂を上っていくと春日通りに出て、その向こうに伝通院の山門が見えてきます。



*伝通院の立派な山門*

試衛館跡のある市谷柳町から約40分で到着!

意外と近い!

私の足で40分だから、きっと体育会系の近藤さんたちはもっとだいぶ早かったんだろうなw

なんて思いながら境内へ入ってみました。



*これまた立派な桜と本堂*


浪士たち、伝通院に終結

文久三年二月、総勢234人の浪士たちが集まったのはこの伝通院の境内ではなく、塔頭である処静院(しょじょういん)の境内でした。

残念ながら処静院は現存していませんが、昔の地図を見ると伝通院の横に「所静院」という記載があり(字がちょっと違うけど)、現在そのあたりは住宅地になっていました。



*伝通院の塀ぞいに処静院があった方へ進んでいくと案内板があり、詳しい地図が*


処静院はなくなってしまいましたが、当時の石柱が伝通院の山門脇に移されて残っています。



*不許葷酒入門内*

葷酒(くんしゅ)門内に入ることを許さず=ニラやネギのような匂いの強い野菜や生臭い肉と魚、そしてお酒を山内に持ち込むことを禁止する、という意味で禅寺の戒壇石に刻まれる戒めの言葉だそうです。

この石柱は幕末当時もあったものなので、新選組の面々もきっとこれを目にしたんだろうな〜。

ここから浪士組、のちの新選組がスタートしたんだなとしばし感慨に耽るw


余談ですが、昔の地図を見ると伝通院の山門前に「大黒天」との記載があるんですが、ここはいまも若干かたちを変えて残っていました!



*お寺と幼稚園が一体化!*


清河八郎と伝通院

浪士組発足のそもそもの発起人・清河八郎のお墓がここ伝通院にあります。

清河八郎は将軍警護、京の治安維持の名目で浪士組を集めましたが、京につくや否や朝廷から攘夷の勅諚を得て江戸へ引き返すと言い出します。

そもそもの目的が違うということで近藤さんや、芹沢鴨率いる水戸軍団など約20人はそのまま京に残り、のちに新選組を結成することになります。

京へ来てすぐ翌月に浪士組を率いて江戸へ戻った清河八郎ですが、ひと月もしないうちに暗殺されることになるのです…



*清河八郎墓所(真ん中)*



*没後45年経った明治41年、正四位を贈られました*

ということで、近藤さんの試衛館のあった場所から浪士組結成の伝通院までをぶらりと歩いてみました。

そんなに遠い道のりではなかったんですが、現代の私たちからしたら普段歩かない距離ですよね(^^;;

でもしょっちゅう多摩に出稽古に出ていた彼らからしたらこのくらいの移動はなんでもないんだろうな〜

いつか試衛館から多摩への出稽古の道のりも歩いてみたいな〜と思っていますが、なかなかハードルが高いw


最後に、甘いモノ

最後に、甘いモノに目がないわたくしが見逃せない、伝通院近辺のオススメの甘味をご紹介☆



*メゾンカイザーのエクレア*

試衛館跡からすぐの大久保通り沿いにあるパリで人気のパン屋さん、メゾンカイザー。
おいしいパンがたくさんあります!ケーキもちょこっとあります!
おなかが空いてたので休憩がてら(まだ試衛館出発から10分も経っていないのにw)フランボワーズのエクレアとプレッツェルを。

うまし!

英気を養ってから伝通院へ向けて出発しましたw



*文京区の文人銘菓「一葉の桃」と道明寺*

伝通院から最寄りの春日駅へ向かう道中の善光寺坂を下って春日通りに出る手前に和菓子屋さん発見。

近くに住んでいたという樋口一葉にちなんだ「一葉の桃」なるものが!

せっかくなので地元の銘菓と、季節の道明寺で一服。

「一葉の桃」は文字通り餅の中に緑色の桃の甘露煮が入っています。



*一葉の桃を販売している和菓子屋・千代田*


以上、東京・幕末ゆるぶらさんぽ「試衛館〜伝通院 浪士組結成!」の巻でした!




〜ゆるぶらざっくりマップ〜





●伝通院 http://www.denzuin.or.jp

●和菓子千代田 http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131004/13105991/

●メゾンカイザー http://www.maisonkayser.co.jp


〜東京新選組マップ〜
https://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF&msa=0&msid=206098105244522558892.0004f3d9583931cefd02e


〜今回の史跡巡りがより楽しくなるアイテム〜
近藤勇スカルパーカー土林誠イラスト近藤勇Tシャツ土方歳三「石田散薬トートバッグ」Tシャツ」土方歳三「〜雪〜Tシャツ」沖田総司「〜桜〜Tシャツ」 斎藤一「〜楓〜Tシャツ」土方歳三タンブラー
2014年4月作成


wrigting by
デザイナー / エビハラ クミ


東京・幕末ゆるぶらさんぽ一覧

第7回 「両国 〜勝海舟と江戸の史跡〜」」

第6回 「向島・本所 〜勝海舟の修業時代〜」

第5回 「試衛館〜伝通院 浪士組結成!」〜試衛館道場(市谷甲良屋敷)から伝通院を歩く〜

第4回 「上野・寛永寺 〜徳川家と上野戦争(後編)〜」

第3回 「上野・寛永寺 〜徳川家と上野戦争(前編)〜」

第2回 「近藤勇ゆるぶら散歩〜板橋宿周辺 近藤勇・最期の地〜」

第1回 「土方歳三ゆるぶら散歩〜高幡不動・石田寺〜」